退団のごあいさつ
長岡 暢陵

クロサイ旗揚げメンバーの一人。
長年クロサイの川原脚本に欠かせない役者として、20年にわたってシリアスとコメディ両面での屋台骨を支えてきた長岡。
齢50を越え、ついに台詞を覚え続ける生活に終止符を打つことを決意。今後は老後に必要な2000万円を貯金するために頑張って働く。

二泊三日で京都のお寺を歩き倒して膝下の筋肉を痛めた長岡です。
素晴らしいですね、京都料理。麩(ふ)をメインのおかずにしてご飯を食べるのは衝撃でした。「味噌汁の具」がいきなりの四番バッターですよ。麩の概念が変わりました。京都、奥深い…。

それはさておき、退団です。はい。演劇をやめることにしました。ついては主宰の川原から「劇団の好感度が上がるような感動的なコメントを送りやがれコノヤロー」という指令が来ましたので、コメント書きます。

たぶん一般的に、仕事でも何でも誰かが何かをやめるときにはそのやめる理由が気になるものですが、私が演劇をやめる理由は「やめたいから」に尽きます。さっぱりしたもんですよ。だって、18から始めて今年52歳の34年ですよ。むしろ34年間も演劇を続けられたことの方が私はビックリです。

なぜ、続けられたんだろう?

34年は長いですよ。いま思わず34年前の出来事を検索したらチャレンジャー号爆発事故、チェルノブイリ原発事故、たけしのフライデー襲撃事件が出てきました。そんな昔からやってたのか俺(T_T)

演劇活動が継続できた理由!これはねえ、もう初舞台です。18歳の初舞台の体験が衝撃的過ぎたんだと思います。大学の演劇部の定期公演でした。

中学は卓球部、高校は剣道部で演劇を見たのは高校の時に一回だけ。そんな体育会系の青年が大学に入ってなんの気なしに入部した演劇部で、いきなり岸田理生の「夢の浮橋」の刑事役って!そりゃ無茶だよアンタ。演劇なんて何も知らないんだもの。もちろん演技も一切した事ない。脚本を読まされても意味なんて分からない。

ある日、先輩から「お前、ずっと肩が上がってるぞ」って言われて何だろうと思ったら、緊張しすぎて演技してる間ずっと肩が上がったまんまの昔の怪獣のジャミラ状態になってた。本人は気付かないし直し方も分からない。

いまだに覚えている台詞が一つだけあって、「赤面!」っていう台詞。これをギャグのように演技して場を面白くせよ!と演出の先輩(現在、福岡で一番の傑作まんじゅうを作る会社の社長!)に言われて、出来なくて怒られてこの場面をもう何回も何回もやらされた…のを覚えてます。本番は滑りました。はい。間違いなく。

大学ホールの舞台だけを使って、その上に50人程度の客席や舞台装置を作り公演をやる。

いま思い返してみても強烈に記憶に残るのは「暗闇」ですね。劇場を開けて観客を入れる。開演時間になると客席や舞台を照らしていた照明が消える。スッと真っ暗になる。そのときの暗闇。

その暗闇の中に確かに沢山の人がいるんだけど、みんな何も見えない中ジッとしてる。我々演者も舞台裏でジッとしてる。みんながジッとしてるそんな暗闇。

その瞬間、われわれは何をしてるんだろう?と考えてしまったんですね。

いや、待ってるんですよ。これから演劇が始まるわけですから。ここで何が起こるんだろうって待ってるだけなんだけどね、ふとね、これは(演劇そのものが)一体何なんだろうと思っちゃったんですね。

すると、なぜだか笑いがこみ上げてくる。面白いという意味の笑いではなく人間の存在を揺さぶるような笑い。われわれは一体なにをやってるんだ?というような。ドローンで一気に上昇して舞台を俯瞰してしまうような不思議な感情に襲われたんですね。

別に本当に声に出して笑うわけではないのですが、多分暗転中に舞台に立つときはニヤニヤしてたんじゃないかなー。それはもう最近までそうでした。当時はとても言葉に出来なかったそんな私の原体験が、34年間の演劇活動のガソリンになっていたのではないか、そう思います。

演劇ってホント不思議でした。楽しかったなー。これから先何年生きるのか分かりませんが、演劇のような体験は二度と出来ないと断言できます。唯一無二でした。

うわーここまで書いてきたらなんか猛烈に寂しくなってきたー。でもね、いいんです。演劇がなくても俺には金がある!世の中お金ですよ!老後資金貯めなきゃですよ。目指せ二千万!当たれMEGA BIG(涙)!

さようなら演劇、こんにちは金。

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