クロックアップサイリックス   時々王

KIN-DO芝居ドラマドクター竹内銃一郎氏とのドラマゼミリポート

26日(金)公演後まどかぴあ小ホールにて

 

竹内氏(以下、):  パンフレットの方にも載っていたけれども、基本的には最初の時(選考の時)に抱いた感想に近い。脚本を読んだ時と実際に舞台を観た時とのギャップが激しい。

    脚本を読んだ時は、何と言うか、難しい、厳しい本だなと。繰り返しが何回も出てくるけども、こういうナンセンスの意思というのも解るが、意味を整理させないということにももっといろいろ方法があるだろう。例えば、クイズなんかがそうだ。繰り返すだけでなく、最終的に想像もつかないような「とんでもない」ところまでいってくれれば観ている方に快感も残るだろう。

    退屈さは、例えばオチになっている独特王の部分が普通のコントの域をでていないということもある。それが脚本の意図なのか、それとも理想に現実が追い付いていないのか、判然とはしないけれども。

    人間関係がはっきりと描かれていないというのものめり込めない理由。人間関係というのは演劇が時間を成立させるためにはオーソドックスであるのが良いと私は思っているので、わかりずらいのはちょっと。『王様王』『従者』『傀儡王』の関係性というのはよく解らなかった。

    王様のほとんどを女性が演じているけれども、やはり一般的には『王様=男性』というのがあるわけで、ということはそこに性の倒錯というのがあることになる。ここで当然この性の問題について何かが語られる事を期待したが、「何故女なのか」ということに対する解答は最後まで得られなかった。

    劇にテーマが必要だとは思わないし、パンフレットにあるように「観て解釈しない」ということで良いと思う。しかし今回の作品では「観て単純に感じる、考える」という点での快楽が得られなかった。

    繰り返しが続く中での俳優の意識がよく解らなかった。気持ちはともかく身体的に意識がお留守になっていないか。例えば、傀儡王が一人、二人と倒していく時に、進むにつれて身体の状態が変われば、物言いも変化していくはずである。演劇というのは「時間と空間をどう観せるか」ということ。日常的な時間を凝縮してみせるということができると、観る側も「芝居を観たなぁ」という気になるけども、気分が通常より高揚しているということしか見えない。

 

    テキストは無意味の羅列であると思う。しかし、具体的に舞台を観ると、音などいろいろ自分が芝居を始めた頃のような、古めかしい感じもする。それは多分選びとったものなのだろうが。このミスマッチからどういう芝居を作りたいのか。

川原(以下、):  関連性の薄い繰り返しを敢えて描いている。観る人によって違った意味を投影できるように、あまりに押し付けるような強い意味を持たせないようにしている。確かにこれによって何らカタルシスを得ない人、つまり途中で迷子になってしまう人はいると思っている。

:  カタルシスは自分もいらないと思っている。ただ、たとえば『言語システム』というのは既に自分が生まれる前から成立していて、つまり自分はシステムに話させられているようなもの。そういうシステムから逃れることができるようなとんでもないところまで連れていってくれればと思う。

    芝居を成立させる上で、戯曲は時間を成立させるもので、俳優の身体は舞台を成立させるものだというのが基本的な考え方としてある。自分の中では『静かな演劇』も『シェイクスピア』も等価で、おもしろいかおもしろくないかが全て。

 

    装置だが、造詣的に舞台が美しくないと思う。使われないものが出てくるのはまずい。

:  地図的なものを目指した。舞台装置は基本的にいかにも「こう解釈してくれ」というものにしたくない。

:  舞台上に置かれているものはやはりちゃんと美しいべき。もちろん別に「きれい」はひとつではないと思うけれども。

:  演出が『最初から最後まで抜けられないリング』のようなイメージを渡した結果、こういう無骨な感じになった。

 

:  今回の作品とビデオ(選考に提出した劇団針穴写真館『ブンガク』)は作品的に似通っていると思うが。

:  自分の中にある二極の一方がこういう『時々王』や『ブンガク』のようなパターンで、もうひとつはもっと古くさいアングラ的なもの。しかし後者はなかなか評判が悪い(笑)。とりあえず起承転結のある「こうなってこうなってこうなったのでこうなりました」というストーリー的なものではなく、『序破急』的なもの、感覚的なものを目指している。

:  ストーリーというのは構成なのだから、起承転結がない芝居はない。起承転結が嫌いということは構成が嫌いということか。

:  そうではなく、ストーリー芝居というのは既成のものの中でなんとなく観たことがあると感じるものしか書けない、つまり出尽くしているというのが正直なところ。だからストーリーやテーマに寄り掛からないものを書くということ。ただ、福岡の現状は受け容れられるもののキャパシティが狭く、なかなか理解されにくいと思う。

:  世界中探しても「自分は理解されている」と思う脚本家はいないんじゃないか。福岡だからということにこだわる事はない。自分も未だにどうしてこんなに理解されないんだろうと思う。あんなに客を集めている野田くん(野田秀樹)だって「どうしてこんなに解ってくれないんだ」と思ってる。要は「理解されないこと」対する努力と、別に理解されなくてもやり続ける事だと思う。

:  正直な事を言えば、序破急の最初はどうにかついてこれるように橋をかけておいて、最後のひとつを渡ろうとした瞬間に落とす、というような状態。やはり一匹狼ではいられないので。

:  自分は今、劇団を持っていないけれども、『劇団員がいる』ということは、少なくともその人たちは理解してくれているということ。それを信じてやっていけばいい。

    福岡で500人の客が1000人になったってたいした事はない。だったらどれだけの人が理解してくれるか、なんてことは気にしなければいい。東京は純粋に人口比で考えて福岡の10倍のお客さんがくる。福岡で1000人入るということは、東京なら1万人入るということ。

:  商人的な話をするならば、レアなところに突っ込みきれずにいるというのも事実。パトロンでもいれば(笑)。

:  確かに劇作家というのは他の芸術家のようには作品を作れない。画家なら絵の具、作家に至っては紙があれば良いが、芝居には金がかかる。

 

    男の人は2人だけ?歳は?

:  2人。歳は結構皆いっている。久しぶりでちょっとバテていた。

 

:  日常的な稽古はいつ頃から?

:  一応3月から軽く。脚本が上がってからは1ヶ月半くらい。

:  音は?書く段階から決まっているのか?

:  自分が決めているが、書く時は決まってない。以前そうやっていた時、アングラのように同じ曲が劇中で何十回も流れるとかいうことになりそうだったので。

:  本当に書きたいものが今書けているのか。

:  少しずつ書きたいものに近付きつつある。金魚の水槽に少しずつ塩を入れて海水に慣らしているような状態。

:  キャパ120ぐらいの小屋というのはいくつぐらいあるのか。

:  最近ばたばたとなくなったり使えなくなったりして、今はない。

:  俳優にとっても、公演回数は多い方が為になる。自分も毎週末に同じ芝居を半年ぐらい打つ、ということをしたが、やはり役者の演技はだんだん変わってきた。場数を踏むのは大事。その為にも安くていい小屋があると良いのだが。

:  自由度が高い小屋があればいろいろなアイデアもあるのだが。

:  福岡だけでなく、京都、大阪、名古屋あたりもそうだけども、(芝居を)長くやっている人が少ないし、小屋もない。いろいろな年齢層がいることで『継続性』、相互的な『批評性』といったものが生まれてくる。ヘンな年寄りが地方に行く程多い(笑)。30歳過ぎるともう『あがり』状態の人が多いだろう。

 

    劇団を長くやっていると、劇団員はだいたい途中で入れ代わって、代替わりして若くなる。すると演出家に対して批評性がなくなってしまって、『上がり』状態に。そういうのを防ぐ為にも互いに批評するという事を、単に飲みに行ったついで、などではなく、ちゃんと例えばミニコミ誌だとかいう形にするのが良いと思う。

:  自分は一応正直な感想を述べるのだが、ストレートに批評すると怒ってしまう人が多い。じわじわとネットワークを作ろうとはしているが。

:  もちろんそれはお互いに認めあうところがないと成立しないだろうが。(批評に関して)同じような姿勢で臨んでいくもの同士でないと。

 

    アトリエをもっている劇団はあるのか?

:  ばぁくうがあるが、ほとんど持っていない。

:  家賃は安いだろうし、持てばいいのに。

:  福岡では20〜30万ぐらい。

:  高い。東京と変わらない。

 

    劇作家協会には?

:  入っていない。

:  馬鹿だ。 入るべき。

 

まどかぴあ:  何か他に?

長岡:  『坂の上の家』のオーディションで落とされた。

:  ゴメン(笑)。オーディションで人を落とす度に客が減っていると思うと複雑。

 

    練習はどこでしているのか?

:  市の施設でパピオビールームというところがあり、そこで夜に。

:  タダなのか。

:  いや。時間区分があり、部屋の大きさによって値段が違う。

:  練習時間が少なくて大変だろう。今回くらいの長さならどうにかなるだろうけど。自分の場合はだいたい6〜7週間。最後の方は1日8時間ぐらいやる日もある。

 

まどかぴあ:  他には?

:  一匹狼でいられる心構えなど。

:  芝居には金がかかるし、純粋な芸術家とはいかない部分も大きい。でも、例えば劇団内じゃなくても、自分を支持してくれる人や、的確な意見を述べてくれる人がいるなら、その人に向けて書けばいい。

   『客』に向けてやる、というのはあまりにあやふやだ。客などアテにすべきではない。俳優は同じ舞台にいる俳優に対してやればいい。だからこそ信用できないやつとはやらない方がいい。自分の反応をみている、そういう人とやればいい。 *客の平均値を出すことは可能だ。「こうすればウケる」とか「こうすれば泣く」とかそういう確率が高いものを集めるという意味では可能だろう。しかしそれは茫漠としている。

 

以上。